夜道に迷った鍛冶屋

秋雨来たりなば春遠からじ

夏が終わりやっと過ごしやすくなったかと思えばだんだんと肌寒さを感じるようになってきました。そして、冬の訪れを感じる頃、鍛冶屋の営業は時間との闘いになってきます。

稲刈りしたあとの田

昼過ぎに自宅を出発すると目的地に着く頃には日が傾き始めています。秋の日はつるべ落としと言いますが、冬になれば五時近くなるとと一気に暗くなっていきます。それまでには出来るだけ多くのお客さんの家を回らなければいけません。

夏場には真っ暗になるまで田畑で作業されていた農家の方も気温の低下に比例するように活動時間が短くなっていきます。真冬にもなれば農閑期ということもあり家の中でのんびりされる時間も多くなります。ならば、逆に営業しやすいのでは?と思われるかもしれませんがそうはいきません。

農家の家の造りはだいたい玄関から一番遠いところに台所やテレビを見る部屋があるのですが、寒い時期には窓という窓のカーテン、そして、各部屋を仕切る襖も全部閉め切られ、玄関にもしっかりロックがかかっています。そんな環境の中、結構な音量でTVを鑑賞されてしまっては呼び鈴を鳴らそうが大声で叫ぼうが聞こえている気配は全くありません。これはもはや籠城です。微かに聞こえてくる時代劇の音に後ろ髪を引かれながら撤退するより他ありません。

鍛冶屋の黄昏

時間に追われながら走り回り午後五時を回る頃にやっと仕事を集め終わりました。あとは修理した鍬を何軒か配達すれば終わりです。太陽はもう山の稜線を赤く染めながら消え去ろうとしていました。

山の稜線を照らす夕日

日没直後の風景

さて、ここからが冬場の怖いところです。こういった農村地帯には道沿いなどに街灯はなく道路案内や信号もほとんどありません。夜に開いている店もなければ目印となるようなランドマークもなく月や星、僅かにこぼれる民家の明かりを頼りに配達先のお宅を探します。カーナビも標高差のある山村では役には立ちません。

日中ならば何の問題も無く行ける場所でも車のライトだけが視界では方向も距離感も狂ってしまいます。うっすら見える山や家を記憶に照らし合わせ目的地を目指しますが、方向音痴の自分はよく道を間違えてしまうのです。

闇を泳ぐ

その日は曲がる所を間違えてしまったらしく、民家のない山の中に入ってしまいました。離合出来そうもない細い道を高い木々が覆うようにそそりたっています。空には星一つありません。元の道に戻りたいのですが車を転回出来そうな所は無く、ただただ前に走っていきます。そろそろ泣きそうです。そうしているとやっと道路脇に転回できそうな広い場所見つけました。

軽トラを端に寄せ安全な場所にのせると、何を思ったかエンジンを切り、ライトを消してしまいました。ちょっとした好奇心からの行動です。

するとそこに広がっていたのは『闇』でした。まぶたを閉じた時よりも・・・暗くて・・・深い・・・・一切の光の無い世界。みなさんは『泳ぐような闇』を体験したことがありますか?縦と横の感覚がなくなりだんだん目が回っていきそうです。きっと外に出たら立って歩くことは出来ないでしょう。車に触れている部分だけが自分の全存在です。

暗闇の中でさまよう男のイラスト

綺麗な夜景や凝ったイルミネーションは少し足を運べば見られますが、今の時代こういった体験の方が貴重かもしれません。ものの数秒で恐ろしくなり、またエンジンをかけてライトを点灯します。そして、逃げるように元の道に戻っていきました。

最後の配達先に着いたのはまだ六時を回った頃ですが、出迎えてくれたご主人はもうお風呂から上がってパジャマ姿です。『鍛冶屋さんは遅くまで頑張るんじゃのう。』そう言われると自分もつい「夜分遅くすいませんねぇ。」と言って苦笑いしてしまいます。

季節に合わせて生活時間帯が変わるのも田舎の良いところですね。(完)