鍛冶屋のうぉーきんぐ・でっど

「生きていたのか、貴様!?」

慌てている三国志に出てきそうな男

『シャバの空気が恋しくってよう、

地獄の縁から舞い戻ってきたぜ!』

怒っている三国志に出てきそうな男

男子たるものこんな台詞を一生に一度は吐いてみたいものですが、鍛冶屋の私は年に一度は似たような台詞を吐いています!(ドヤ顔)

先日も営業回りの時にお得意様のお婆さんのお宅に伺った時の事です。

『あら、鍛冶屋さん辞めちゃったって聞いたけどまだ商売しとるんじゃねぇ、よかったわ。鍬が短くなったからどうしようかと思ってたのよ』

なんですと!誰がそんな事を!

『近所の人が言ってたんよ、向こう打ちの人が亡くなったから鍛冶屋を辞めたらしいよって』

向こう打ちとは、昔の鍛冶屋さんの鍛造作業、つまり鉄を叩いて形を整える時に親方がハンマーで打った後、続けて弟子が大ハンマーで叩く事を向こう打ちと呼んでいました。

鍛冶屋の親方と大ハンマーを持った向こう打ちの弟子

鍛冶屋の親方と大ハンマーを持った向こう打ちの弟子

しかし現在はベルトハンマーという鍛造機械があるので、私も向こう打ちは特殊な作業の時にしかやった事はありません。ちなみに相手に調子を合わせる事を言う【相槌をうつ】という慣用句はこの辺りからきています。

コンクリートの土台の上に設置されたベルトハンマー

ベルトハンマー

うちの鍛冶屋は一年ほどかけて営業範囲を一周しています。なので毎年顔を出しているはずなのですが、たまにお留守とかで会えないと二~三年間隔が空いてしまい、このような事を言われてしまう時があります。

昔は一つの地域に必ず一軒は鍛冶屋があったらしく【石を投げれば鍛冶屋に当たる】と言われていた時代もあったそうです。ですが、今ではしのぎを削っていた近隣の鍛冶屋さんもほとんどいなくなってしまいました。一般の方からすれば既に遠い過去の職業と思っている方も少なくありません。

そういう時代なので常連のお客さんですら、ちょっと会わないとすぐに廃業扱いにされてしまうというちょっぴり悲しい職業なのです。たぶん前に営業担当だった母が亡くなった話などと絡まって近所で伝わっていくうちにそんな事になってしまったのでしょう。いやはやなんともいい加減な伝言ゲームですよね。

そんな時は『いやいや、親父と二人で元気にやってますよ!』とその都度元気をアピールして火種を消して歩くのですが、今まで何度親父が昇天させられた事か・・・。今回は向こう打ちがいなくなったって・・・おや?向こう打ちということは、お亡くなりになられたのは親父じゃなくて私の方じゃないですか!

とうとう私までもがこんな目に遭うとは・・・(合掌)

そういえば私が学生の頃、一流の職人だった祖父が亡くなった時の話です。何を思ったのか親父が真剣な顔をして言いました。『じいちゃんが亡くなった事を三年間誰にも言ってはならん』

え?・・・武田信玄ですか?

何を言ってるんだこの親父は・・・と当時は思ったモノですが、今ならなんとなく理解できます。まあ、親父としては祖父が亡くなった事で仕事の質が下がったと言われる風評被害を一番に怖れたのだと思いますが、このように勝手に黄泉送りにされてしまう事も予想していたのかも知れません。噂の中だけとは言え、彼岸と此岸を何度も往復させられてはたまったものではありません。

なので自分の存在を証明するためこれからも叫び続けていきますよ!

『だから、元気ですってば!辞めてないですって!』

冒頭のセリフほど格好よくありませんがね。