顧客満足度なんていう言葉がありますが、自分は常に100%を目標にしています。まあ、当たり前の事なんですけどね。お互い【ありがとう】と言って終われる仕事を目指して日々精進している訳なんですが、中には手強い方もおられました。
NOT SATISFACTION
昔から1,2年に一度やってこられるお爺さんがおられましてこの方がまあ厳しい。なかなか満足していただく事が出来ませんでした。
重い!長い!広すぎる!角度が違う!なんて引き渡した後に毎回散々文句を言って帰られます。こちらも今度こそは!と好みに配慮しながら気合いを入れてやるのですがどうも向こうとの思いに乖離があるようで、一度として納得して御帰り頂いた事がありません。
挙げ句の果てには『よその鍛冶屋はちゃんとやってくれる』なんて言われる始末。昔からお世話になっているからか、相手かまわず大喝を入れる親父もこの方の前では大人しくしています。
もう相性が悪いとしか言い様がない状態。ですが、それでもあの方はまたやってきます。そして、いつものようにお代とクレームを置いて帰って行くのでした。
それから数年経ち、そのうちあのお爺さんの姿を見なくなりました。そもそも高齢だったのでもう農業を引退されたのかなと思い、日々の忙しさの中で少しずつ忘れてしまっていました。
忘却の中で
ある日の営業回りの事です。少し時間と体力に余裕があったので例年より遠くまで足を伸ばしていました。うちの鍛冶屋は広告などは全く出しておらず、せいぜい手作りのホームページがあるくらいです。なので常に自力で新規開拓していかなくてはいけません。
そんな訳で営業をがんばっているとなにやら上質な農家の匂いのするお宅を発見。そして奥の納屋の方で作業をしている方がいたのでその後ろ姿に向かって「ごめん下さい~、滝川鉄工所と申しますが鍬の修理はいかがですか~?」と声を掛けると『おお、そろそろ持って行こうかと思ってたんよ。わざわざ来てくれたんか、ありがとうの~。』
おや?聞き覚えのある声、そして振り返った顔を見て、しばらく考えてちらりと玄関の表札を見る・・・ここはもしかして!いや、間違いなくあのお爺さんです。バリバリの現役じゃないですか。いったいいくつなんだろう。
ある程度の場所は知っていましたが、まさか直撃するとは思いもよりませんでした。過去のトラウマが脳裏をよぎり、酸欠でチアノーゼになりそうです。
鍛冶屋の憂鬱
平静を装いつつ、偶然の再会を喜びながら修理の鍬を預かって帰ることになりました。その足取りは当然重いわけで・・・。
ですが、逆にこれは汚名返上のチャンスです。これまでに私も色々と経験を積み、次に来られた時の対策は練ってありました。
うちの鍬の修理はある程度の強度を確保するために根元から丈夫にするので若干重くなる傾向があります。ですがこの方に対しては強度は最低限にとどめ徹底的に軽量化することが正解だと気付いたのです。
そして一週間後、強い思いを胸に秘め、仕上がった鍬を持ってお爺さんの元へ向かうのでした。
「はい、どうぞ!」そう言って修理を終えた鍬を渡すとお爺さんは全体をぐるりと見回し、2~3回素振りした後、『こりゃあ使いやすい、いい鍬になったのう、ありがとう』と言ってくれました。
初めてノークレームでした。というか、初めて褒めてもらった気がします。
結局、それがお爺さんとの最期の仕事となったのでした。
それからはそのお宅には毎年伺っています。農業を継がれた息子さんからもご贔屓にして頂けるようになりました。あの日の訪問が偶然だったのか必然だったのかは分かりませんが、納屋に掛けられてある鍬を見る度に鍛冶屋は独り苦笑いをするのでした。(完)