鍛冶屋、虫掘り鍬におののく
その日、廿日市市から訪れたお客さんが持ってきた鍬に私と親父は驚きを隠す事が出来ませんでした。
高速道路経由で約1時間半、遠路はるばる廿日市から竹原へやってきたその方が持ってきたのは虫掘り鍬、摩耗した状態でも50㎝近くあります。ウチの鍛冶屋が扱う鍬のほぼ倍の長さ、重量も倍なのは言わずもがなです。
これは海釣りで使う餌を掘る為の鍬です。干潮の砂浜でこの鍬を使って本虫などを探します。私も知り合いに教えてもらって本虫を掘りに行った事がありますが、虫がいそうな場所を掘り進んでいきます。
そして、いた!と思ってすくい上げようとした刹那、ミミズの3倍は太いであろう本虫がはじけた輪ゴムのような勢いで逃げていきます。ものすごいスピードで地中を移動する本虫を追いかけながら、本虫ごとすくい上げるように掘らないといけません。重たい砂浜での作業はかなりの重労働で結構な無酸素運動です。
実際小一時間掘っただけでも次の日体験したことのない筋肉痛に襲われて動けなくなった事を覚えています。その時使ったのが25~26㎝程度の虫掘り鍬でした。当時、私は国体選手で体力もかなりあった時期ですが、もう二度とやろうとは思いませんでした。
なので50㎝のこの規格外の長さでどうやって使うのだろうと不思議になります。
『よくこんな長くて重い鍬使いますね』
と聞くと、
「みんなこれくらいの虫掘り鍬使ってますよ。農家の鍬もこんな感じですよ。」
と、事も無げにそう言われました。
な、なんだと!!!
鍛冶屋、無知を知る
瀧川鉄工所の営業範囲はこのくらいで、廿日市市に営業に行った事はありません。だいたい似たようなもんだろうと今まで思っていましたが、同じ県内でもこんなに違うのかと愕然としてしまいました。
農家の鍬もこんな感じって・・・。どんだけムキムキマッチョな農家なんだろう・・・不謹慎にも北斗の拳の修羅の国的なイメージが脳裏をよぎってしまいました。
そして、以前に広島県の全てを知っているかのようにこんな記事まで書いてしまって本当に井の中の蛙でございました。申し訳ありません。
そして、お客さんからいろいろ要望を聞いて修理に取り掛かります。
長年の摩耗と海で使用しているため塩による腐食がひどいですね。なので弱い部分は補強し、爪も新しく作り直し、鍛造、焼き入れ!しかし、重い!それから爪の研ぎ、最後に柄を差す!ええい、重い!そして、完成!
注文どうり55㎝にしてあります。これくらいの長さがいろいろ作業する上で限界ですね。いままで作った鍬 の最長記録更新ですよ。これが鍛冶屋のバッケンレコードや!とついふざけてしまいたくなるくらい重かったです。
そして数日後、完成した虫掘り鍬を無事引き渡す事ができ、充実感と安堵感に浸っているとお客さんがなにやら車のトランクをゴソゴソ・・・
車の中からもう一丁古い虫掘り鍬が出てきました。
そして、一言
『今度は60㎝にして欲しいんですが!』
それを聞いた私と親父は互いの顔を見合わせてから、ゆっくりと消え入るような声で言いました。
「勘弁してください・・・」